NAZENみやぎの仲間からお便りもらいました(NAZEN通信にも掲載しましたが、こちらが全文です)。

☆ドキュメンタリー映画「被ばく牛と生きる」を見て
                        NAZENみやぎ 小原 真喜子

hibakugyuu

 11月13日東北大学東北アジア研究センターが主催の会で「被ばく牛と生きる」という映画を見ました。
 3.11の大震災の後すぐに福島に駆けつけた松原保監督は、最初に被ばく牛を飼い続ける吉沢さんと、山本さんに出会います。その他にも、高い放射線量が残る牧場に通う農家の人たちと知り会い取材を重ねたドキュメンタリー映画です。

 本来は肉になる運命の牛、売り物にならず経済価値のない被曝した牛をなぜ飼い続けるのか、深い理由があるはずと、松原さんは週末福島に通います。4年にわたって撮りためた映像を大手の映像会社は、東電を敵に回すことにしり込みして相手にしてくれなかったそうですが、大阪のドキュメンタリー映画祭に参加したことで、昔の知り合いがプロデューサーを引き受けてくれてようやく映画になったとのこと。
 前半は、吉沢さんとお姉さん、山本さんに焦点があてられています。吉沢さんの「希望の牧場」にはナゼンみやぎの現地ツアーに参加して行ったことがあります。吉沢さんを心配して避難先の埼玉から通うお姉さんも取材していました。言いたいことをきっぱりと言うお姉さんで、吉沢さんの命はお姉さんで守られていると思いました。元浪江町町議会議員の山本幸男さんは原発に賛成していた議員でしたが、安全神話を信じたことを後悔し、牛を見殺しにはできなかったと仮設住宅から通います。「相馬野馬追」には避難先から駆けつけた孫子3代で出場する姿も映されます。豪華な衣装をつけて晴れがましい姿が余計に心にしみて来ました。
 後半はさらに原発に近い牧場で牛を飼い続けている4人紹介されます。浪江町の渡辺さんの牧場は、現在も15マイクロシーベルトを超す線量が残っている。大熊町の池田さん夫妻は、原発から5キロメートル!小規模経営の兼業農家で、牛全部に名前をつけて名前で呼んでいる。「牛は家族と同じ」という言葉に強い愛情を感じます。殺せるわけがない。
 いやがらせもある。放牧している牛が休みに行く山の前が汚染物の仮置き場に指定され、やむなく殺処分をすることに同意する柴さん。戦後父が荒地から開墾した牧場を手放す柴さんの諦めた表情。それぞれの思いを持って避難先から通い続けている姿、言葉、映像に原発事故のむごさを改めて思いました。
 映画には岩手大学の岡田教授の活動も紹介されています。牛の模様のトラックで野良牛を増やさないために去勢するボランティアをしています。そして、「被ばく牛を経過観察する研究は、人類にとっても科学的な知見が得られるテーマだ」と感じ、研究を始めます。農家の人たちも「被ばく牛を唯一生かす道は、低線量被ばくの研究しかない」と協力をします。しかし研究費助成の申請も被ばく牛が研究テーマとわかると予算がおりないのです。除染には5年間で5兆円を超えると言われているのに。国は、福島で起きていることを全くないものにしようとしている、棄民政策そのものだと思いました。
 白い斑点ができた牛、「原発事故の生き証人」を厚生省に連れて行く吉沢さん。「原発事故は何も終わっていない」と渋谷で訴えます。どこの牧場に行っても線量計はピーピーと鳴り、空き地には山積されたフレコンバック、大地を走り回る野良牛、そして「命の重さに違いはあるのか」と自問自答しながら牛に餌をやり続ける農家の人たち、私たちに「なくすことはできない」と強く訴えてくる映像でした。