8.6-8.9ヒロシマ・ナガサキと福島をつなぐ全国統一行動へ、長崎の被爆者である城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんからビデオメッセージをいただいたので紹介します。

 
 
 今年は被爆75周年。一つの節目ということで普段よりもいろんな行事を計画していました。しかし2月から始まったコロナ禍で次々に縮小されたりなくなりました。私たち被爆者が伝えたいとやっているのは被爆継承です。小中学生、高校生、大学生のみなさんに被爆体験を伝える。5〜7月というのは長崎市内、県内の子どもたちに伝えるのに一番盛んな時期なのですが、今年はそれさえ全くできませんでした。外部からいらっしゃく方々ももちろんですが、地元の子どもたちにさえ伝えることができなかったんですね。
 全国、コロナと温暖化による水害などによって平和でない毎日でみなさんも大変だと思いますが、私が今感じていることを申し述べたいと思います。

 75周年を迎えた今、私の五臓六腑を駆け回っているのは怒りなんです。一つは、被爆者の体にはまだ原爆が生き残っているということです。二つには、河野防衛大臣が語った「イージス・アショアを廃棄する」ということについて、あ、良かったと思ったんです。秋田や山口、国民の声を聞いてやめたんだと。しかし2日後には違う形で動き出した。元防衛大臣の小野寺、稲田が簡単に言いました。「これからは敵基地攻撃能力を保有することを考えてはどうか」と。私は騙されたと思いました。怒りでした。
 被爆者の体にはまだ放射能が残っていると言いましたけど、今年75年目に、被爆当時3歳であった私の友人、彼女は1.4キロ、本原町というところで被爆をしたんです。潰れた家屋の中から、兄妹助け出されて生き延びました。お兄さんは本を出したり、地図を書き残して亡くなっていったんですが、妹さんである彼女は一生懸命お兄さんの意思を注いで語り始めていたんです。その彼女が本当に元気だったのに。栄養士さんでした、学校給食の係りをしていたので、長崎の子どもたちの健康、家族の健康、私の孫は障害があるんですが、障害児を集めてひとりになっても生きていけるようにと指導もしてくれた人です。先日私に、「じょうだいさん、原爆がきた」と。どうしたのと言ったら、検診を受けたら膀胱がんと言われた、しかもたちが良くない。もう私は生きた心地がしませんでした。75年経っても被爆者の体の中には原爆が生きているんだ、積み重なった放射能によって五臓六腑がやられるんだ。この悲しみ、苦しみ。それは怒りに変わりました。
 放射能のことは原爆後アメリカは隠蔽したんです。ピカドンと言って、光とか爆発音はみんな感じてその恐怖は持っていました。しかし放射能のことはずっと隠されました。お医者さんでもあり被爆者でもある肥田舜太郎さんはなくなる前に、「私がし残した仕事は、放射能を公然と認めさせることができなかったことだ」とおっしゃいました。どんなにお医者さんたちがやっても、政府は権力で認めなかった。その上にはアメリカがいたんです。アメリカが言うには、今の日本の平和は原爆によってだと。原爆神話を堂々といっていますが、私たちは違うと思います。放射能が隠されたことによって、今もって福島の子どもたちは苦しんでいるんです。75年間、間にはチェルノブイリ事故もありました。アメリカが核兵器を作った時に、風下にいたたくさんの人たちが被曝をしています。プルトニウムを作った街も、実験をした街も、たくさんの子どもたちががんや死亡の記録があるのに発表されていません。2年前に、プルトニウムを作ったハンフォードにいった被爆者のかたが話していました。工場の近くに墓地があって、墓碑には赤ちゃんの名前が書かれていた。1歳未満の墓碑がいっぱいあったと。そこで働いていた人たちの家族なんですね。そう言うことはアメリカは発表しません。実験の時に風下に原住民の方々がたくさんいたはずなんです。彼らも被曝をしています。しかしアメリカ政府は被爆者として認めていません。それは原発、核の平和利用のためだったんでしょうね。
 現在福島の事故で子どもたちが小児がんになりましたよね。しかし原発で原因をしているものではないと言っています。許されるものではありません。なお今政府は原発を再稼働させたり、新しい原発を作ろうとしています。本当おろかにも六カ所にはプルトニウムを再利用してモックス燃料を作るとかお金をかけてやろうとしていますね。そう言うことがなぜ続くのか、政府の指導者たちが全く核とか、原爆とか放射能とか知らないじゃないですか。長崎にも広島にも原爆資料館があります。長崎の原爆資料館にはよく若い外交官がお見えになります。彼らは一生懸命被爆者の被曝体験に耳を傾けます。英語ができる被爆者は、自分の生の声で被曝体験を伝えます。最後には涙を流してその体験談を持ち帰ってくださるそうです。そう言う国々が今世界的な核兵器禁止条約に賛同しています。日本の政府たちはもちろん、国会議員たちは目を通してさえいないのではないでしょうか。770名くらいいる国会議員のうち、賛同する議員は16%、116名に止まっています。その中には7名の長崎の代表の国会議員もいますが、たった1人しか賛同しておりません。彼らは原爆資料館を訪れたこともないし、被爆者の声に耳を傾けることもないし、戦争について知っているんでしょうか、学んでいるんでしょうか。そう言う方々にぜひきて欲しいですが、こないと言うなら、私たちが出かけることです。原爆展を国連本部でしようとかいろんな国でとかやってますが、国会議事堂の中で原爆展をしたいと思っています。ここに被爆者をいっぱい送り込んで被曝の体験を語りたい。そうでもしないとわからない。
 そう言うことを考えながら、今政府の横暴さを止める、私たちの未来を平和な方に向けるために絶対にしなければならないのは、憲法9条を守ることです。安倍政権は簡単に憲法を守ると言い出しました。草案を作ったけどでたらめでした。次に出してきたのが自衛隊を憲法に明記する、です。こんなことをしたら、自衛隊は世界中どこにでも戦争をしに出かけなければならなくなる。それは集団的自衛権ですね。強行採決されたんですね。2014年でした。集団的自衛権によってアメリカに追従する日本はどこにでもいかなければいけなくなる、戦争に巻き込まれてしまうんです。その上に明記したら大変なことになる。そう言う想像はできないんでしょうか。こう言うことを絶対に許してはいけません。前の方にちゃんと戦争放棄が書いてあるからと言っても、法律というのは後からできたものが優先されるようです。だから自衛隊が明記されたら、前の方になんて書いてあろうと、使われないことになります。恐ろしいことです。私たちは憲法に自衛隊を明記することを阻止しなければなりませんね。
 やり方が、今までの方法では、なかなか権力を倒すことはできません。でも若い人が勝ち取った素晴らしい方法がある。検察庁法改悪です。横暴な自分勝手な法律を作ろうとした安倍政権に対して、1人ひとりが声を上げてくれました。ツイッターを使って。1000万もの人が動いたんですね。あれによって横暴な法律は却下されました。素晴らしいことです。この力を使えば核禁止条約も成功するし、核廃絶もできると思います。
 核兵器禁止条約がどんなに大事か。160ヵ国の国連参加国の中で、賛同が120ヵ国くらいありました。しかし50ヵ国の批准がなければこれは実行に移されません。現在40ヵ国が批准しています。10ヵ国が批准していません。その中に日本が入っています。核の傘にある日本は批准をしない。
 3という数字。75年前に落とされた原爆。核兵器はたった3発しか作られていなかった。一発が広島に落とされたリトルボーイ、もう一発が長崎に落とされたファットマンです。ウラニウム爆弾とプルトニウム爆弾。もう一発、両方に落とされる20日前にアメリカが自分の国で爆発実験をしたプルトニウム爆弾、長崎と同じものですね。これを作った科学者たちは砂漠のまわりで爆発を見たんだそうです。その瞬間にあっと声を上げて、しまったと叫んでいます。どうしてこんなものを作ったんだろう、人類に使うべきではないとアメリカ大統領に使ってはいけないと言っているんですね。しかしトルーマン大統領はあえて使いました。日本にも責任がありました。ポツダム宣言を受け入れなかったからですね。使われたあと、アメリカが使ったあと秘密にしたんです。放射能を知られたくなかったからですね。光とか爆発音はみんなが知ったわけです。しかし放射能は目に見えませんから、人々は知りませんでした。それを国際的に隠したんです。そのあとソ連が後を追って水爆を作ります。アメリカも水爆を作ります。原爆の400倍の威力のある爆弾ができます。
 その頃には、3〜7万発の核兵器がいろんな国に広がっています。これじゃいけないとアメリカのレーガンとソ連のゴルバチョフ代表が話し合って下げました。
 軍縮で今1万3800発ぐらいになっています。じゃあ安心していいか、そうではありません。水爆は広島形原爆の400倍。この中には広島型原爆の1000〜5000倍のものができていると言います。5000倍のものが一発でもどこかで使われたら地球はどうなるか。福島のことを想像したら分かりますね。畑も川も湖も全てが汚染されました。地球上にある全てが汚染されます。食べ物がありません。核の冬がやってきます。どんなに隠れても。シェルターに入ってもいずれば出なければなりません。出てくれば何もありません。人類みな被爆者です。私たちはいかに核兵器禁止条約を批准しなければならないかということですね。
 広島・長崎の被爆者が思い立って国際署名を始めました。今年の9月18日までに50万集めようとしています。現在48万3000筆集まっています。後もう少しです。これを成功させたい。
 それともう一つ、ツイッターです。若い人、アーティストの参加で政府を動かしたんですから、これだってできると思います。大学は国立大学といえども政府は費用を削っていますね。研究費をやらない、文学部をなくせ、とんでもない。文化を育て、研究をして医学も進めて平和に暮らすためには学問だと思います。学問の自由は憲法にも保証されていますし国がきちんと保証しないといけないと思いますね。
 私たちも残っている力を出していきたいと思いますが、被爆者の平均年齢は80歳を超えています。私も81歳になりました。これからはみなさんに継いでもらいたいですね。みなさんの新しい力をつないで、動かして行って、平和と作って行って欲しいなと思います。平和な暮らしというのは、コロナで十分感じられたでしょう。戦時中は学ぶことも遊ぶこともできない。そんなおんなじことが起きていて、平和な日常がどんなものかを感じられたわけですから、コロナと戦いながら、平和の日々を作るために全力投球していきたいと思います。力を集めてがんばっていきましょう。