長崎保養の報告はNAZEN通信9月号に掲載しましたが、かなり割愛したので全文をブログで紹介します。
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28日は午前中は、原爆資料館とミニフィールドワーク。前日のお話があったのでよかったと。午後は中華街から、大浦あたりを観光。ガイドさんがついて詳しくお話をなされたそうです。夕食の後、花火大会。これも子供たち好きですね。
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◆7月26日~30日、茂木を宿泊先にして長崎保養をやりました。福島の子供たち、お母さんたち、ほんとに喜んでいました。
今年はフクシマ(カタカナは福島原発事故による被ばく地、の意味です)から、3家族9人が参加しました。お母さんの引率で、子供は3人+2人+1人でした。実はこの3家族は昨年、保養に来ることになっていたのですが、コロナが広がり始めたことで保養中止となり、長崎に来れなかったのです。私が「今年は長崎保養やりますよ」と電話すると、みんな「去年は子どもが落胆してました、うれしい!」とはじけていました。保養はみんなの生きる力になると確信しました。
保養は命と健康のためですから、それをやるためには、コロナからもしっかり守られたものにしようとみんなで相談しました。必ず、PCR検査をすること、ワクチンを接種することにしました。手指消毒など日常的な感染防止対策もきちんとやるようにしました。おかげで今までフクシマの参加者もスタッフも感染せずに来ています。良かったです。
今年はフクシマ(カタカナは福島原発事故による被ばく地、の意味です)から、3家族9人が参加しました。お母さんの引率で、子供は3人+2人+1人でした。実はこの3家族は昨年、保養に来ることになっていたのですが、コロナが広がり始めたことで保養中止となり、長崎に来れなかったのです。私が「今年は長崎保養やりますよ」と電話すると、みんな「去年は子どもが落胆してました、うれしい!」とはじけていました。保養はみんなの生きる力になると確信しました。
保養は命と健康のためですから、それをやるためには、コロナからもしっかり守られたものにしようとみんなで相談しました。必ず、PCR検査をすること、ワクチンを接種することにしました。手指消毒など日常的な感染防止対策もきちんとやるようにしました。おかげで今までフクシマの参加者もスタッフも感染せずに来ています。良かったです。
26日に長崎到着、この日はゆっくりして、お互い和みました。子どもたちは和むの早いですね。夕食の後みんなで遊んでいました。

27日は午前中はペンギン水族館に行きました。いつも思うのですが、子どもたちペンギンが好きですね。私も好きですが。午後は飯盛の結いの浜海水浴場で海水浴です。みんな、はしゃぎ回っていました。夕食の後は、城臺美彌子さんの原爆と平和のお話です。お母さんたちも子どもも、心に残ったと感想を述べてます。

27日は午前中はペンギン水族館に行きました。いつも思うのですが、子どもたちペンギンが好きですね。私も好きですが。午後は飯盛の結いの浜海水浴場で海水浴です。みんな、はしゃぎ回っていました。夕食の後は、城臺美彌子さんの原爆と平和のお話です。お母さんたちも子どもも、心に残ったと感想を述べてます。

28日は午前中は、原爆資料館とミニフィールドワーク。前日のお話があったのでよかったと。午後は中華街から、大浦あたりを観光。ガイドさんがついて詳しくお話をなされたそうです。夕食の後、花火大会。これも子供たち好きですね。
29日午前は、ミニ観光。出島、稲佐山、眼鏡橋をピューっと回りまして、午後にもう一度海水浴。海水浴では、二日ともスイカ割りが大変盛況でした。みんなが一体となりました。その後に食べたスイカのおいしいこと。ひとつのスイカはスタッフの方が作ったスイカで、ふたりの女の子はたくさんたくさん食べていました。夕食後は、最後の交流会、和気あいあいと、紙芝居もありました、しかもお互いの意見交換も行われました。特に、印象深かったのは、ここにきているフクシマのお母さんたち、十年たった今でも、食材にとてもこだわり、選んでいるそうです。放射能が簡単にはなくならないこと、内部被ばくのことをよく知っているのです。まさに被ばく者であることを自覚しています。だから保養なのだとあらためて痛感しました。
30日は長崎空港で名残惜しくてたまらない中、帰りました。
5日間、ずーっと最高の天気でした。
5日間、ずーっと最高の天気でした。
◆お母さんたちの感想です。(要約です)
●長崎に来れて本当によかった!平和の勉強、福島ではじょうだいさんのように伝えてくださる方などはいないので、貴重なお話、親子共々勉強になりました。とくに小4の息子には心に残ったそうです。今後の人生においてもとても大切な学び、ありがとうございました。そして、何より海遊び!福島では10年入っていない海なので、県外の夏の一番の楽しみです。母なる海で、心も体もリフレッシュできました。まだまだ解決していない問題も沢山ありますが、それに臆することなく、前を向き、今ある状況の中で、ベストな生き方をしていきたいと思います!!
●福島で生活する事を選んだものの、福島での子育てのむずかしさに、悩むこともまだまだたくさんあります。被爆体験を聞かせていただき、元気なお姿を拝見して「私たち家族も放射能に負けず健康で長生きする!!」という気持ちになりました。
●今回は素晴らしい保養のギフトをありがとうございました。長崎の素敵な景色、美味しいごはん、みなさんのあたたかさに、沢山元気をいただきました。海でたっぷり遊べたことは本当に楽しい思い出です。原爆についてじっくりお話を聴けたことは、とても貴重な機会でした。お互いを思いやって平和を願う思いを、親子ともに受け継いでいきたいです。
●長崎に来れて本当によかった!平和の勉強、福島ではじょうだいさんのように伝えてくださる方などはいないので、貴重なお話、親子共々勉強になりました。とくに小4の息子には心に残ったそうです。今後の人生においてもとても大切な学び、ありがとうございました。そして、何より海遊び!福島では10年入っていない海なので、県外の夏の一番の楽しみです。母なる海で、心も体もリフレッシュできました。まだまだ解決していない問題も沢山ありますが、それに臆することなく、前を向き、今ある状況の中で、ベストな生き方をしていきたいと思います!!
●福島で生活する事を選んだものの、福島での子育てのむずかしさに、悩むこともまだまだたくさんあります。被爆体験を聞かせていただき、元気なお姿を拝見して「私たち家族も放射能に負けず健康で長生きする!!」という気持ちになりました。
●今回は素晴らしい保養のギフトをありがとうございました。長崎の素敵な景色、美味しいごはん、みなさんのあたたかさに、沢山元気をいただきました。海でたっぷり遊べたことは本当に楽しい思い出です。原爆についてじっくりお話を聴けたことは、とても貴重な機会でした。お互いを思いやって平和を願う思いを、親子ともに受け継いでいきたいです。
◆私の感想です。前にも書いたように、被ばく地の方が「保養を要求する」「保養を切実に欲している」というのは、被ばく者宣言だと思います。『黒い雨が降った所』を『福島原発事故による放射性物質が降った所』に置き換えてみれば、何千万人の被ばく者が登場しているのです。核推進者にとっては、そういう被ばく者は封じ込めたい、できればなきもにしたい、ということです。核・原爆開発は、巨大な破壊エネルギーを生みだしました。そしてもうひとつ、放射性物質による被曝を生みだしました、核保有国および核にたよる国はこの事実をひた隠しに隠そうとしてきました。報道では、いかにアメリカ政府が、放射性物質による人体への影響を抹殺しようとしてきたか、が明らかになっています。ヒロシマ・ナガサキの被ばく者のたたかいが、司法に内部被曝を認めさせたことは画期的だと思います、が76年もかかってです。今こそ、何千万人の被ばく者が団結し、生き抜き、核も戦争もない時代を切り開くときです。
NAZENナガサキ事務局長 橋里耕悟
NAZENナガサキ事務局長 橋里耕悟
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